今日も「世説新語」ネタです。今読んでいるのは初っぱなの「德行篇」。字の如く、徳のある人物や孝行息子たちのエピソードがたくさん載せられております。
例えば
笵宣、年八歳、後園挑菜、誤傷指大啼。人問、「痛耶」。答曰、「非為痛、身体髪膚、不敢毀傷、是以啼耳」。
笵宣君が八歳のとき、後ろの菜園に菜っ葉を取りに行って、誤って指に怪我をして大泣きした。人が「痛いのか」と聞いたら、こう答えた「痛いのではありません、『身体髪膚はあえて毀傷しない』といいます。それで泣いているんです」、と。
有名な「孝経」の「身体髪膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也。」を踏まえていますが、今読むと嫌なガキだなーと思いますね。
一方で、こういうのもあります。
呉郡陳遺、家至孝。母好鐺底焦飯。作郡主簿、恒装一嚢、毎煮食、輙貯録焦飯、帰以遣母。後値尊恩賊出呉郡、袁府君、即日便征。遺、以収斂得數斗焦飯、未展帰家、遂帯以従軍。戦於滬瀆敗、軍人潰散、逃走山澤、皆多餓死。遺、独以焦飯得活。時人以為純孝之報也。
呉郡の陳遺は、家ではたいへん親孝行。その母親は鍋底の焦飯が好きだった。呉郡の主簿になるや、いつも袋を用意しておき、飯が炊けるごとに焦飯をその袋にたくわえ、家に帰っては母親に食べさせた。後に尊恩の賊が呉郡に現れたとき、太守の袁氏は即日征伐に出ることにした。陳遺は袋に数斗の焦飯を集めていたが、帰宅する間も無かったので、そのまま持って軍に従った。滬瀆というところで闘ったが敗れ、兵はちりぢりになり、山野に逃れたが、多くは餓死した。ただ陳遺だけは焦飯をもっていたおかげで生き延びることが出来た。当時の人々は熱心な親孝行のおかげだとうわさし合った。
超訳ですが、こんなかんじでしょうか。話としてはなにか落語的な面白さがありますね。
でも、れっきとした郡の主簿様が、自分の勤める役所の食堂で出たお焦げをせっせと持ち帰って、母親に食べさせるというのは、いくら親孝行といっても、さもしいというか、ルール違反というか、今ならネットで炎上するようなネタでかもね。
それにしても、こういうものが編まれ、読み継がれていくということは、乱世や暴君の下で生き抜かねばならないエリートや知識人の、なんか憂さ晴らしという気がします。
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