2023/01/31

昨夜みた夢。
カメラをもって写真を撮っている。どこかのお祭りのようだ。
入念に下調べをして、無駄になるようなカットは、はなから撮らないらしい。
手にしているのはどうやらフィルムの一眼レフ。
つや消しのブラックボディ。レンズは単焦点。機種はわからない。
当然ピントは手動合わせ。相手の動きも速いが動じない。
巻き上げレバーにかかるフィルムの存在を味わう余裕があるのは我ながら見上げたものだ。
舌なめずりするように、コトリ、コトリと、いつまでもシャッターを切っていく私。
とうに36枚を超えているのだが……。

夢で見るのはデジタルカメラではない。フィルムカメラなのだ。
もう15年あまり使っていないのに不思議である。

さて、以下は冗談。
国会では「反省すべきは反省したい」という言葉がしばしば話題になる。
「べき」は漢字の「可」と思う。この場合、たぶん「当然反省しなければならないことであり、反省いたします。」という意味で使っていると思いこんでいたが、実のところ謝っているのかそうでないのか曖昧さが漂う。こういうのは国語辞典かもしれないが、たまたま目の前にある全訳漢辞海』を引くと「可」には、①可能②許可③当然④勧誘⑤評価と、そもそもいろんな意味があるようだ。上記の用例でいくと③の説明に見える「状況や周囲の条件から当然そうすべきことを示し、「「……すべきである」「……しなければならない」と訳す」にあたると思うのだが、それはこちらの勝手な解釈なのかも知れない。
そういえば先だって学校で漢文の先生に、「漢文の場合、助動詞の可はだいたい「可能の可」でよんでください」と教えて貰ったっけ。つまり①だ。辞書はこれについて「客観的な状況や条件または能力において、可能なことを示し、「……できる」「……しうる」と訳すとある。となると、この語を発した方は、この①の意味で「べき」を使っているのかも知れない。たぶん「わたしが反省できないことは、反省しません」という方向性だ。ちがうか? ふーん、知らんけど。






2023/01/30

母をデイに送り出してから買い物へ。
帰り道いつもの河原畑に立ち寄ったら、
柿の木に白いカラスのとまっているのを発見。
これはこれはと、買い物袋からカメラを出し、忍び足で近寄って構えた。
なにぶん標準ズームのついたNikon1なので、拡大してまともに見られるのは数カットだけ。
ただ連写モードになっていたのが幸いだった。
しばらく黒いカラスに混じって鳴いていたが、やがて一羽だけで飛び去った。
どうです、ちょっと神々しくはありませんか?

ハシブトガラスのようだが、白い個体は数万羽に一羽という確率だそうだ。
いわゆる「瑞兆」らしい。救国の聖人でも現れるのか?
とりあえず宝くじでも買っておこう。




















2023/01/29

昨日積もった雪が日蔭ではまだ凍り付いている。
いいかげん飽きたなどといったら、雪国の人に𠮟られるだろう。
昼前から晴れて暖かくなってきた、日ざしの強さにもうすぐ立春だと気づく。
もうすぐ、もうすぐといっているうちに季節はどんどんかわってゆく。

夕刻、荀子の王制篇を読み終わる。後半晦渋でした。





2023/01/28

今朝も積雪。10センチ程度だが、今回は「南雪」とみえて湿雪ですこぶる重い。
気温が高いので、屋根からとけ落ちる雪の塊が、ずしん、ずしんと音を立てている。
スコップを持って通路をあけるだけで息が上がる。ほとんどバケツで水を運んでいるようだ。そんななか、雪道をおしてデイのお迎えが来て下さる。ありがたい。

老母がデイに行くのは週3日。行って入浴させてもらい、あとはほとんど寝ている。
ただ、この週3回のデイがあってはじめて私たちの暮らしが成り立つ。
そうでないと、長丁場(母は介護7年目・要介護5)、特にきつい認知症の場合、たぶん介護者の精神に異常をきたすと思う。在宅日だと母の世話にかかる時間は4時間余り、肉体的にはまだなんとかなる。ただ、子育てだと相手から「気」がもらえるが、介護は「気」が吸い取られる。これが結構こたえてくるのだ。介護制度は介護される人はもちろんだが、介護する人を助けるとても大事なものだ。





2023/01/27

昨日信楽(たぶん多羅尾でだろう)でマイナス12.6度という最低気温が記録されたという。
ちょっと想像が付かない。北海道ならまだしも、滋賀でそこまで下がるとは驚く。一帯は煎茶の産地として知られるだけに被害が心配される。わが家のワビスケも、ちょうど盛んに咲き出したところだったのに、この寒波で花が凍てて落ちてしまった。
人間はよくできたもので、確かに寒いのだが、先週あたりとくらべると、身体が寒さに慣れてきたように思う。それでも寒さに疲れてくると、過去の同時期の記事を見返して、もう少し、とか、いやまだまだ……、などと独り言を言い始める私である。

さて、漢文自習に疲れたとき、日本の古典を読むと、なんというか心がほぐれる。
暮れから十訓抄、年明けからは発心集、それから宇治拾遺物語とわからないなりにながめている。その多くはもちろん岩波文庫に入っているが、小生はもっぱら古い角川文庫。角川はいまはソフィア文庫と名を改めて販売しているけれど、大きなKと小さなBの字を配した栃折久美子装釘の古い版が気に入っていて、均一棚で見つけては買っている。角川文庫にしたのは、注や解説が詳しいということ(とくに宇治拾遺を岩波とくらべると数倍詳しい)。もちろんもっと詳しい堅い本はいくらでもあるが、寝床で読むのには文庫本がありがたい。
今日は方丈記が届いた。発心集とおなじく簗瀬一雄の訳注。やはり参考資料が充実しているが、それよりもこの方の序文や解説の調子がよい。とくに序文は長明ともう昵懇の者のように記している。ながく研究者として親炙してきた自信と「長明愛」を感じるが、なんとなく微苦笑を誘う書きぶりなのだ。

方丈記を読んでみると、私には、長明はまだ「わび住まいごっこ」を楽しんでいるとしか見えない。それでも、時々に湧き上がってくる不安や焦燥が、徐々に深刻になっていく。ここから本当の晩年までのあいだに、彼の心情が深まってそれが発心集なんどにつながっていくのは、なんとなく同感できるところだ。






2023/01/25

予報通りの降雪は昨夜のうちに15センチあまり。吹きだまりはそれ以上。
明日デイの車が支障なく入れるよう、朝から長靴を出して雪かき作業。
マイナス4度まで下がったので、雪はまさしくパウダースノー。
箒で掃くようにして除去できた。午後からの晴天でどこまでとけてくれるか?
湖南も降ったが、今回は典型的な「北雪」だな。

老母の朝食をすませたあと、カメラをもって近くを散歩。
車の通れる道はすでに圧雪から氷に変化して鏡面仕上げ。
スタッドレスタイヤの効果は絶大かもしれないが、
よろよろ歩いている脇を構わず走り抜けていくのは勘弁してほしい。

週間天気を見るとここ一週間は寒さが続く。
ちなみに明日の最低気温はマイナス5度だ。




2023/01/23

夜半に降り出した雨も10時前には止み、雲間から太陽も顔をのぞかせる。
しめしめ、この調子で路面が乾いてくれると、明日の凍結の憂いがなくなるが、どうか。
いずれにしても明日は午後遅くから雪、しかも大津でもそれなりに積もるという。

寝る前に鴨長明の編んだ『発心集』を何度か読んだ。
発心とはいうものの、なかには緩慢な自死とも受け止められる、ちょっとどうかという話もあり、はたしてこれで極楽とやらへ行けるのかしらと思ってしまう。
長明自身はこのような発心・往生を本当はどう思っていたのだろう。
『方丈記』を読んでみると、長明は現世に執着おおく徹底しきれないようにもみえる。
あくまで文辞かもしれないが、人として当然で、また、悟りすましたような文章なら、これほど読み継がれはしなかったろう。あるいは後世の仏者が巧みに入れ込んだのだろうか。





2023/01/22

昨夜は1時過ぎに目が覚めてしまい。
それからどうやっても寝られず、4時頃にようやくウトウト。
5時半には老母のトイレのために起きたので。眠くて仕方ない。
原因はたぶん昨日の午後に飲んだ栄養剤。午後にカフェインを入れるとあきません。

自習の『荀子』は結構長篇となる儒效篇を読んでいる。
ここの聖人論はとっても現実的。一見すると儒学の世界では絶対的な聖人である周公や孔子の批判にもみえるほど。ちょっとあんまりなので後世の儒者のなかには、その部分は荀子の本意ではなかろうなどとフォロー?する者もいた。
荀子の弟子には秦の宰相となった李斯や韓非などの冷徹な統治を旨とした法家の連中がでているが、なるほどと感じる。荀子のいう聖人は時勢と現実にあわせて屈伸自在。どこまでも政治の術なのだ。





2023/01/21

土曜日。湖南は晴れているが、北の空はねずみ色だ。
1時間あまり散歩して帰宅後、部屋で音楽を聴いていたら、ちょっと寒気が……。
おっとあぶない。早速葛根湯を投入し、小さな足下ホットカーペットを椅子に置き
そのうえに座って暖を取ることにした。下半身を冷やすとあきません。

ヘッドホンで聞いていたのはマーラーの交響曲第九番。
1時間を超えるけど、何度聞いても素晴らしい。
ぜひ生の演奏を聴きたい。




2023/01/20

今日は「大寒」。暦の通りに寒気が南に下がってきているのがわかる。
今朝は灯油をさらに一缶購入して週末からの寒波に備える。

滋賀の冬は南北で大きく異なる。
北は日本海側と同じで、安土山を越えると川を渡るごとに積雪が増す。
長浜から北は、もう完全に「雪国」である。
たしか積雪量の世界記録は伊吹山だったとおもう。

一方南はめったに雪は積もらず、冬晴れの日が多い。
もし滋賀に住みたいという方がいたら、「北はまあ野洲までにしとき」とすすめる。
信長の安土城はギリギリだが、絶妙な場所にある。
小生近江八幡には6年あまり住んでいたが、実感としては近江八幡市と野洲市を距てる
日野川が南北の境界になるのではないか。
八幡が吹雪でも野洲は上天気ということはたびたびだった。

youtubeを見ていたら、ぴったりな動画を見つけた。

4分30秒あたりが旧安土町(現近江八幡市)である。奧の方に安土城跡があり、
そのあと上記の日野川を渡る。
どうだろうか。コメントも参考になる

もちろん南でも雪が積もることがあるが、これは「南雪」と呼んでいる。
イレギュラーな降りということでもあり、実際雪の質も北のそれと異なりベタ雪で、
そろそろ春の訪れを口に出したい頃に降ってくる。
同じ県民でも雪に対する思いや、暮らしの備えには大きな違いがある。
来週の寒波で雪が降るかどうか。すり減ったタイヤを見ながら気を揉んでいる。




2023/01/19

週末から来週は寒波の到来が予報されていて戦々兢々。
今週中に食料品や灯油の買いだめに走っている。
なにせタイヤはすり減ったノーマル。身動きが出来ない可能性があるからだ。
今日は嵐の前のなんとやら、おだやかに晴れて洗濯日和。
老母の部屋もデイに行っているあいだに大掃除とシーツ洗いができた。

お昼前に少し里廻り。
今日もあちこちでトラクターが田を起こしている。
冬のあいだに土に日光と空気を十分触れさせるためだ、
起こした土はなんともいえぬ匂いがする。
それに反応してか大小多くの鳥がやってきて、トラクターのあとを追いかける。
土の中からミミズなどをついばんでいるのだ。安眠していた虫たちや憐れ。
これからいくどか雪に埋もれ、凍ててくずれ、寒風にさらされて、春の到来を待つ。



2023/01/18

曇天。
老母の朝食をすませてから、ひと月ぶりに湖畔の施設へ。
お藏に入って終日資料整理。
興味深い資料がつぎつぎと現れて気分も高揚する。
ただ扱っているのは、多くが昭和30年代から50年代 
劣化した紙を相手にしていると自分もこんな感じなのかと、ふと、思ってしまう。








2023/01/17

火曜日は訪問看護の日。
朝食のあと、急いで近所の里山へ。
午後から晴れるとの予報。空をみると確かにそのようだが、しかたない。

現地についてみると、あれあれ、山裾のナラが何本も切られている。
まだナラ枯れになっているわけでもないし、邪魔にもならないのに、なぜ。
幹も太く樹冠も大きく、四季を通じて楽しませて貰っていたのに残念至極。
大きな木陰があって始めてその下に生える植物もあったのに……。

植栽樹はともかく自然生えの木はできるだけそのままにしてほしい。






2023/01/16

洗濯物が乾かないので、コインランドリーへ走る。
そのあといつもの公園へ、遊びに来た保育園の2歳児に癒やされる。
老人と四六時中向かい合っているとエネルギーが吸い取られるよう。
幼子に接すると逆ですなぁ。

『荀子』自習は今日中には「非十二子篇」が終わりそう。比較的読みやすい。
夕刻よりにわかに荒れ模様。














2023/01/15

小正月の朝。小豆粥と行きたい所だが、残っていた白味噌と餅で雑煮を作り
松の内もお開きに。もちろん新暦の小正月には意味は無いけれど、それはそれ。

8時台に買い物を済ませ、帰宅して老母の食事の世話。
食欲はあるが、じきにうとうとしはじめるので、誤嚥させないよう気をつかう。
今朝は口中ケアの途中に寝てしまった、

空模様を確認していつものように自転車に跨がって里廻りに出かけた。
天気はすっきりしないが、予報されていたとおりめっぽう暖かい。
ダウンの上にヤッケをかぶってしばらく走ったが、これはたまらない。
それらを一気に脱いでバッグに放り込んでしまった。
新しい週の後半からはきつい揺り戻しがあるそうだ。

お昼はとろろ入りタマゴうどん。うーん、やはりとろろは蕎麦だな。
午後は全国女子駅伝でしばらく行っていない都の景色を楽しむ。






2023/01/14

母をデイに送ってから、気晴らしに山の上の滋賀県立美術館をのぞいてきた。
常設展だがちょうど「特集展示」というかたちで滋賀県出身の写真家、
川内倫子さんの写真展が開催中だった。
そのあと小倉遊亀をゆっくり見る。これでコーヒー一杯分です。
本展とは関係ないが、小生は写真は一点一点ぱっと見て面白いのが好き。
終日雨模様。気温は高め。



2023/01/13

天気は下り坂、気温は高め。
曇っているのは雨気だけでなく、黄砂のせいもあるようだ。
今朝は朝食時に老母としばし「会話」。
配線は基本こんがらがっておりときおり通じる程度。
そういうことに違和感はもう感じなくなり、できるだけ聴くことにしている。
ほとんど耳新しいことはなくなったが、ごく希にこれまで聞いたこともない
新「事実」が明らかにされたりする、もちろん笑って聴きおくだけ。
しかし、自分も年をとって変なことを口走らないとは限らないな。

食事のあいだは刺激の少ないテレビ番組ということで、
朝は「おかあさんといっしょ」であることが多い。
まさに「おかあさんといっしょ」なのだが立場は逆転。
食事の世話も排泄もまったく逆になった。







2023/01/11

明け方ぎゅーっと冷え込み、あわてて毛布をもう一枚掛けた。
窓を開けて戸外の温度計をみるとやはり零下2度まで下がっている。
暮れから外の水栓やトイレの水回りにはヒーターを仕込んであるので凍結の心配はないが
起きるのが億劫になり、再び布団に潜り込んだら、結局起床は7時をまわってしまった。
こういうのは無職だからできること、現役の方ご苦労様です。皆さんの働きが頼りです。

老母の朝ご飯を済ませてから、久しぶりに無印へ出かけ、セーターとシャツを買う。
そろそろ春物が出て来る時期。セール価格で買えたのはありがたい。
いったん荷物を家に降ろしてから再び自転車跨がる。
ヒバリでも上がりそうな陽気だが、天気は明日までという。
お日様の力をからだに蓄えておかないといけません。
午後は漢文自習。ようやく『荀子』の栄辱編を読み終えた。
なかなか力の入った文で、文意も取りやすい。

*今日は比良山もくっきり 












*池のはたの水仙も一気に咲き出した











2023/01/10

今日から暖かくなるという予報だったが、実際には昨日とは打って変わり、小雪舞う寒い一日だった。近頃の天気予報は素晴らしく当たるのだが、こういうこともあるということだ。
しかたなく近所の公園をちょっと散歩。ここはいつもグランドゴルフに興じるご老人で賑やかだ。コンビニコーヒー片手にしはらく見物していると、女性のうった1打目が数十メートル離れたホール?にポンと当たって、まさかのホールインワン!。一同の喝采を受けていた。かつて流行ったゲートボールは廃れ、いまはグランドゴルフ全盛。そりゃそうだろう。団塊世代にはあれはウケない。でも、みなさんお使いのクラブもなかなか高そうだ。

*葉を落とした木々の姿は見飽きない



2023/01/09

今日は成人の日。近所のホールには晴着姿の新成人が集まっている。
平和のありがたさを感じる風景だ。
おだやかな日ざしに誘われて自転車に乗って湖畔の城下町へ走った。
湿気があるのか雪の比良山はうっすら。微風、ただし向かい風。

 自転車を漕ぎつつ蜜柑剝く男子スマホにあらず歳のはじめは

以下、気の向くままに。

*石山駅界隈はもともと企業城下町として開けたところ。かつてはそれらしい活力と猥雑さ
 があった。そういう土地の記憶が「史跡」のように点在する。












*旧東海道を走って旧膳所城下若宮八幡宮 高麗門は膳所城の旧城門で大津市指定文化財。  勧請縄が吊ってあるのに気がついた。年頭だけ吊ることが多いので今まで知らなかった。 
 犬も歩けば棒に当たるのたとえの通りだ。ここは樒を使っている。
 








*京阪電車粟津駅から石山寺行 マンションが無ければ正面に雪の比良山が見えるはず。

入手したMacBookのワープロは、昔使っていたEG Word由来のegword universal 2を使うことにした。結構使いやすい。

2023/01/08

昨日Macが届いた。先代のMacBook Pro。
昔の米国戦車みたいな無骨なデザインのPCに慣れきっていたので
デザインがシャープすぎて面食らう。ちょっとやりすぎという気もする。
トラックパッドもアルミ製?で指先が冷たい(爺なので)。

一時間ほど使ってようやく以前の感覚が戻ってきた。
インプットメソッドは手書き文字入力がないのが残念だが、
「ことえり」由来のものとすれば、なかなかうまく変換してくれる。
ATOKにしたいけど、たいした仕事もしないのでこれを鍛えていこう。
学校にゆくと学生さんがみんなMacBookairを使っているけど、勉強に使えるのかしら。
とりあえず舊字體フォント(馬酔木明朝)を入れておく。
こういう作業もみんなウェブ上にチップスが上がっているので不自由しない。

ジャーンという起動音にはびっくり。そうそうこれでした。
うーん、ちょっとはずかしい。












2023/01/07

天気は下り坂。
老母をデイに送ってから、郵便を出しに近くのコンビニへ。
いつものようにコーヒーも買って、店の外で一服。
スポーツクラブに出かけるような子供の姿を見て、ようやく今日は土曜日と気づく。
自習は引き続き『荀子』。牛歩どころか蝸牛の歩み。
性悪説が有名だが、その冒頭には「青はこれを藍より取れども藍よりも青し」がある。
これを聞いて、朝ドラを思い出せる人は、そこそこの年齢だな。



2023/01/06

長男のノートパソコンが不調になり、小生の古ノート(Windows10)を譲った。
主に使っているデスクトップ機は8.1、このところ11への更新が催促されている。
10あたりからMSへのしばりがきつくなりうるさく感じていたこと、
使い勝手がわるくなり(老化でついて行けない)、インターフェイスも硬質で疲れる。
そんなわけで、もうたいした仕事もしていないのに、
禁断の埋蔵金を開封して、Macbook pro(但し中古)を発注してしまった。
ただし仕事はWindowsを使う必要があり(一太郎)10にしてそのまま置いておく。
ノートなら老眼が進んでキーボードとモニタの間をそう往き来しなくてもよいだろう
(小生かな入力でタッチタイピングが出来ません)。

MacintoshにはLC630からご奉公。仕事場ではSE30から使ってた。
たしかLCは「ローコストカラー」の意味だったかと思う。当時ワープロはMacWord。
縦書きが出来るよいソフトだったが、たぶんメモリが足らなかったんだろうよく落ちた。
そのあとのアップルの低迷期からジョブスによる奇跡の復活も同時体験したクチである。
若い時は虹色の林檎のステッカーをクルマに貼ってたものです。
 
最初に多数派だったNECの98なんかから入っていたらどうだったろう? 
なんてわざわざ考えるのは少数派だったから。 
自作PCとかプログラミングなんてなことは全く興味なく。
ただ、シンプルで使いやすいのにぐっと魅せられたのだ。
イージーワードとかナイザスライター、ファイルメーカー、ハイパーカード。
それからウォズ、スカーリー、ガセー!!なんて名を聞くと遠い目になる(笑)。
 あの業界はまさに優勝劣敗、栄枯盛衰、諸行無常……。
今のMacはどんな感じになっているのか全く知らない。

スマホ万能の時代に大袈裟だけど、久しぶりの出会いを楽しみにしている。

*初撮り鉄 今年はもっと生活感をと思っていますが、そのためには外出しないとね
 琵琶湖線南草津駅近傍 草津線からの回送電車








2023/01/05

好天だが風がめっぽう冷たい。
老母は5日ぶりにデイへ。久しぶりの入浴。ありがたい。
年賀状を出しに近所のポストまで軽装で出たが
「衆寡敵セズ」あたふたと帰宅。
防寒の構えをして再び出発。予報通りの冬型だ。
結局一足先の郵便局まで行って投函。
今年はこれが最終になりそうだ。

帰り道にコンビニコーヒーを飲んで陽だまりを探して一服。
コロナ流行以来喫茶店に入ることが無くなり、
外でのコーヒーは専らコンビニで調達になってしまったが不満はない。
あくまで個人の好みだが、味はファミマ>ローソン>セブンかな

さて、今日も元気でいきましょう。






2023/01/04

今朝は年があけてから初めての買い物。
暮れにあれほど積み上がっていた商品はどこへ行ったのやら。
みな売り切れたとは思えない。食品ロスはべらぼうな量になっているのではないか。
バックヤードの実情を見たことはないけれどあまり目出度くない風景である。

冬型が強まり陰気な空模様だが、身体を動かすのはたいせつ。
いつものように自転車に乗って、今日は湖畔まででてみた。
昨日は初漕ぎだったと思うが、今日は北風が強く、ミズスマシ達の姿は見えない。
唐橋の上下左右に京滋の大学の艇庫が点在している。京大・同志社・立命・龍谷……。
艇庫のなかはボートや櫂がぎっしりだ。
ここで4年間を熱心に過ごしたら、普通は留年確定ではなかろうか。

唐橋のたもとではシジミ搔きの舟が漁の始末をしている。
漁師の孫だろうか、自転車から降りてひょいと舟に上がっていく。




2023/01/03

正月も今日で三日目。早い早い。
老母の朝の目覚めが今ひとつで朝食に手こずる。

なんとか済ませて、古いカメラをショルダーバッグに放り込み
自転車に跨がり隣町まで走り出す。
神社には初詣客の長い列。並んでまでお参りするのか?
子供の頃はこんなに多かったかしら? 皆さん信心深くなった事よ。
参道には露店もでている。コロナ感染の現実は変わらないはずだが。

1時間あまり気儘に走って帰宅。そろそろ食べ物が底をついてきた。
この正月からおせちを用意するのをやめにしたこともある。
小腹空いたとき蒲鉾や黒豆があると虫養いになる。
左党ならそれをアテにしてさらに一杯やれるところだが、小生は食い気のみ。
とりあえず冷蔵庫のなかを総ざらえしてしのいでおこう。

*中山道を走る 見上げるとマンション風に乗ってトンビが舞っている。



2023/01/02

正月2日は仕事始め。
もちろん本格的な仕事ではなく、ちょっとだけ真似事。
豊作祈願の田打ち初めなんか若い頃はまだあちこちで見られた。
いつも通る道ばたの柿の木に葛が絡みついて去年はもう青息吐息だったので
葛には悪いけど、這い上がっていた蔓をぜんぶ切ってやる。

自宅学習は予告のとおり、年末から『荀子』をゆっくり読んでいる。
テキストは大正時代に出された富山房刊行の漢文大系。頭注が充実しているのがありがたい。頭のよい人は訳だけ読んでも頭に入るだろう。でも凡人にはそうはいかない。辞書を引き引き、蝸牛の歩み。荀子の修身篇にも、それでよいと書いてある(気がする)。

今年の年賀抄は喪中の方が多かったためか、元旦に届いたのは10数枚だけ。
送っていただいた方に出すという不義理を続けていたら、こんな感じになった。
80になったのを潮時に年賀状を納めますという方も……。

この4日間は老母も終日自宅介護のため外出が制限されるので時計を見ながら里廻りのみ。


*それにしてもこのコカ・コーラのデザインは目立つ。
 わたしゃ10年に1度くらいしか飲まないけど。






2023/01/01


みなさま方のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

新年は朝6時に起きて、「初水」で顔を洗い、一同揃って白味噌のお雑煮で祝いました。

そのあとはradikoで邦楽・雅楽・謡曲を聴いてのんびり。
今年は、「高砂」のように、静謐で明るい年であってほしいですね。