2022/08/31

今年もラジオ体操は聞こえないまま、八月が終わろうとしている。

今日は湖畔の施設で勉強会。
ぼーっとしているとますます老化する。
じっとしていると身体のキレが悪くなる。
小人閑居のたとえもある。

*午前6時 まだ爽やかだった

















*午後3時 台風によるフェーン現象とやらで、猛烈な暑さと湿気が襲う。


2022/08/30

早生の刈り入れが始まった。
昨日あたり一気に進むかと思われたが、そうでもない。
今週はこれから雨続きなので、他人事ながら心配になる。
機械で一気に済ませられるとはいえ、炎天下の作業はしんどかろう。
少々の雨なら刈り取って乾燥させるのだろう

子どもの頃は稲刈りといえば10月も後半だったと記憶している。
さらにその昔は11月。片付けが出来たらもう師走だったのである。
農繁期は近くの公民館で共同炊飯が行われ、農家の子どもたちはそこで食事をとっていた。
稲藁の香ばしい、鼻がむずむずするような匂いが村中に充満していた。


*近頃はこんなのが鳥威しになっている
















*午後2時台はダイヤの間隙をぬっていろんなのが走ってる

















*ニラの花 清楚な外観だが、匂いはなかなか……


2022/08/29

朝は初秋を思わせる。短パンとTシャツでは肌寒いくらい。
まだ日中30度近くあるが、当方のしきい値も上がっているので、もう秋にしてしまおう。
午前中は買い物。店頭にならんだ野菜も秋の気配を感じさせる。
今年はカボチャは当たり年とみえる。マロンカボチャでなくても十分だ。
茄子もうまい。ここ数年甲賀の下田(しもだ)茄子を楽しんでいる。

*夜明けの機関車 運転士さん律儀にマスクしてますな ここは引きがない。







2022/08/28

夜が明けるのが遅くなった。暦をみると今日の日の出は5時26分とある。
小一時間近所を走る。秋草が元気だ。
久しぶりに山間の畑を訪れると、草に覆われ荒れ放題だ。
来年あたりは、ここも住宅地に姿を変えているかも知れない。

その後空気が乾燥し、風が通る、夏休みの終わりらしい天気になる。
午後青空の下で自転車を走らせる。ほんとうに久しぶりのこと。
そろそろ町歩きも再開したい。























2022/08/27

涼風に誘われて早朝の一走り。
熱気が去って汗もかかない。まだ油断ならないが、季節が変わったようだ。
川に降りていく人物を発見。オヤッと思い川面を見ると、なにやら黒い物体。
ははーん、仕掛けだな。
漁業権が設定されているような川ではないので問題は無い。
どうも何カ所もカゴを伏せているようだ。
今朝は入っていなかったようだが、鰻でも狙っているのか?
チラリとこちらを見たが、単なる物好きや自然観察ではあるまい。
手にカメラ・スマホを持たないので、流行のユーチューバーでもないらしい。



 

2022/08/26

早朝、いつもなら外に出るのだが、しとしと雨が降っていて、そのまま寝床にいた。
老母の朝食をすませたら、家人がそとは涼しいというので、自転車にまたがった。
たしかに厳しい日ざしはなくなり、気温もさがっている。

ついでにちょっと買い物もというので、大きめのショルダーバッグにカメラを放り込んだ。
このところ相棒はNikon最後の一眼レフ普及機になったD3500に、チープな外観のAFニッコール28-80mm 3.3-5.6Gをつけた超軽量セットだ。D3500はレンズの選択肢が限られるが、これはGレンズなのでピントはMFだが露出はオートが使える。APS-Cに35mmフィルムカメラの28-80mmをつけるわけで、換算42-123mm相当。歳を取ると昔のように広角が必要なくなり、標準から中望遠レンズが使いやすい。20年前のこのキットレンズ、噂によると名玉の誉れ高いらしく、撮ってみるとそんな気もしてくる。たぶんプラセボ効果だろう。
















































*なんということもない川だが、ここ200メートル程なぜかコンクリート護岸がない。
その「効果」はてきめんで川岸は植物が豊かに茂り、蔭をつくって虫たちもやってくる。たぶん水生昆虫も繁殖していることだろう。いつまでのこされるかな。写真はハグロトンホのようだ。
後日談になるが、この場所で、翡翠色の鳥カワセミで出会えた。オイカワなど小魚が棲んでいるから、餌場になっているのだろう。カワセミというと深山幽谷に生息するようなイメージがあるが、けっこう人里近い小川や溜池で姿を見ることが出来る。小生も何度も遭遇している。

2022/08/25

秋草





















今日手にしたのは 大島洋『アジェのパリ』みすず書房 1998。
線引きがあるので格安。もとの所有者はこれを資料として読んでいた気配。
大島自身も写真家だが、本書には一切その写真はない。文章がよませる。


2022/08/24

おや、気のせいか? 涼しいぞ。



昨日ブックオフで下村湖人の『現代訳 論語』を入手した。110円である。下村は『次郎物語』が著名で、論語を冠する本としては『論語物語』の方が一般に知られる。もともと教育家であり中国学者ではないので、その方面では「その他の訳者」といったあたりでかろうじて紹介される程度。もしかするといまでいう「ビジネス論語」の走りといった見られ方をしているのかもしれない。購入した本もPHPからの再刊(2008年・元版は1954年)なので、まずはそういう読者層をねらったものだろう。小生この本の存在を知ったのは、とある研究者のブログ。学問的な評価はわからないが、一読してなかなか練られた訳文で(本人の前書きでは古・新両注を斟酌して、言葉を補いかなり自由に訳したとことわってある)、かんたんな注や補說もついていてわかりやすく、読んでいてひきこまれる。教育者・文学者であった湖人の晩年の精華なのだろう。

訓読を通じて、なんとか読んだつもり、わかったつもりにはなれても、それじゃ日本語訳にできるかというと、それはまったく別次元。しかも相手は天下の論語である。専門的な学識はもちろん、幅広い教養、文学的な力量も問われるたいへんなお仕事。現代語訳と銘打った本のなかには、そのあたりちょっとあやしそうなものも流布している。しかしそれも含めて「売れる」ということは、一般の論語に対する関心がまだあるということとの裏返しでもあるだろう。どんな分野でもファンを増やすには、よい入門書は欠かせない。

論語の訳解書としては金谷治の『論語』(岩波文庫)、吉川幸次郎の『論語』(もとは朝日文庫などで読めたがながく絶版。近ごろ角川ソフィア文庫に入った)が入手しやすいし定評がある。新注に基づく訳としては手に入りにくいが、倉石武四郎訳(筑摩世界文学大系5 所収)が高く評価されている。今回の本には惜しくも原文は付いていない。やはりあったほうがいい。なんて思っていると、市場にはすでにそういうバージョンもあるらしい。いずれにしても論語は時代により、人により、立場思想により、さまざまな読まれ方をしてきた書物なので、先入観をもたずいろいろと読んで見たい。

*オビには「日本人なら一度は読んでおきたい」とあった。いまはどうだろう。







2022/08/23

5時に起きて墓掃除へ。盆の供花も枯れて、そろそろ秋の気配と行きたい所だが
現実は厳しい。燃えるような朝焼け。今日も35度近くになるらしい。
そろそろ夏にはお引き取りを願いたいところ。
そままま自転車にまたがって、一時間あまり走ってみる。
路傍に白いユリが咲いている。ここ数年一気に増えた気がする。
ちょこちょこならまだしも、群生しているところもあってそれはちょっと妙な気分だ。
台湾原種のタカサゴユリか。在来種にくらべて繁殖力が強く、一気に野生化しているとか。
かつてはセイタカアワダチソウが跋扈したが、この頃はススキが復活。
河原が菜種に占拠されたかと思ったら、こんどはオオキンケイキクに置き換わる。
野草の世界も流行廃りが激しいな。





2022/08/22

夜のあけるのが遅くなってきた。
朝の気温は少し下がったが、湿気が去らずまるで梅雨のよう。
今日も日中は34度の予想。厳しい日になりそうだ。

老母は低空飛行が続く。パーキンソンの症状もでて、歯磨きも難儀になり、
ついついかんしゃくを起こしてしまう。
早稲田の稲穂の色づき、虫の鳴くこえに慰められる。








2022/08/20

久しぶりに湖東の山懐へ行った。
涼しいが、アブとブトがしつこくて閉口。
帰宅後シャワーを浴びたらけっこう刺されていた。
このあたりは油断していると山ヒルもはいあがってくる。

今日お話しをうかがった方、昭和36年生まれ。なんと私より年下だったが
いろんなことをよく記憶されていた。


*「惣藏」とある。










*雨がちかづいている



2022/08/19

空気が入れ替わったようなので、朝から走ってみた。
たしかに気温はかなり下がっている。いいじゃん。
このままで推移するほど甘くないようだが。
今朝は湖畔をかるくながす。ご同輩の姿もチラホラ。

*こんな感じで走り出した































*日の出がずいぶん遅くなってきた


2022/08/18

明け方すさまじい降り。もう寝られなくなって音楽を聴く。
このところはラヴェルにはまっていて、CDをとっかえひっかえ。
エアコンのせいか喉が渇いたのでお茶を淹れて一服。
青柳だがちょっとましなお店の葉っぱなので「上」が頭につく感じ。
暑い季節はお茶でスッキリ。コーヒーでは後口がいまひとつ。

揚雄の法言、一日2頁程度で修身篇なかばまで進む。
ただし、今日は野球観戦や急に散髪に行ったりで、「はか」がいかず……。
前漢末から新の時代というからもう2000年。散逸もせずよく読み継がれたものだ。
揚雄は「性善説」でなく「性悪説」でもなく「善悪混淆說」だな。

*湯呑みはドゥラックス。チンもできるし、水色が楽しめるのがよい。

















*また照ってきた~



2022/08/17

熱気の次は大雨。終日雷鳴止まず。
照っても降っても、外に出ることがかなわない。

茄子が美味しい季節。好物なので毎日食べている。
一昨日は揚げ茄子、昨日は味噌田楽、今日は麻婆茄子。
あとは焼き茄子と、茄子の炊いたん(わが家ではマヨネーズを入れる)あたりか。

雨のあいまに身近なところでパチリ。









2022/08/16

炎暑のうえに湿気がひどく、日中は家に籠もって一歩も外出せず。
昨日は夕方からネット桟敷で高校野球を楽しんだ。
やはり力が拮抗するなかでドラマが生まれるのがよい。
かつてない炎天下での競技。みなさんの健康を祈るばかり。

夜、鷗外の『澁江抽斎』をひらく。
愛蔵? の鷗外選集版は、ざらっとしたクロス装の手触りが好きだ。
新書サイズなので、行儀が悪いが寝転がって読むのに疲れなくてよい。
でも、文字の大きさという点では、そろそろ限界かな。

この作品が単行本になったのはいつだろうか。
というのは、もし当時の本があれば手にしたいと思ったからだが、
調べて見ると、新聞に連載されたのち、生前は単行本となることはなく、没後の大正12年、
鷗外全集刊行会による『鷗外全集』ではじめて本の形に収められたらしい。
なるほど、そういや古本屋で見た覚えがない。
当時一連の史伝は一般には不人気だったというし、そもそも晩年の作でもあり、
生前はこれを出してくれる本屋はなかったのだろう。
漢文をまなんでいることの効用は、こういう漢文脈をベースにした文章が、
少しはあたまに入りやすくなることである。

















2022/08/15

久しぶりに最寄り駅に行ってみた。
入線を告げるせわしないアナウンスがあたりに響いている。
なつかしいな。ネクタイを締めず、革靴も履かなくなって5年。
通勤電車はもう眺めるだけの対象になってしまった。

写真は線路と公道をへだてるフェンスにからまっている植物はトケイソウ(時計艸)だ。
こういうのは保線の都合上、普通は除去されると想像するが、
なぜか20年近くこの状態。きられもせずこれ以上大きくもならない。
冬に葉を落としてからだれかが刈り込んで世話しているようだ。
今はまだ蕾だが、開くとその造形は、虫だけでなく人間もひきよせる。




2022/08/14

夜半から明け方にかけて何度か降ったらしい。
それで熱気が去ったかというとそうでもない。

今朝は自転車で霊園へ向かう。
すでにお参りの姿があちこちに見える。
墓石を洗い、花立ての水を替え、隣接する墓から押し寄せてくる雑草を引くなどする。

この霊園ここ数年、盆や彼岸になると新しくできた休憩所で供花を売るようになった。
それはそれで便利だろう。
今年はとみてみると、おやおや「アイスあります40円」、「JA夏野菜あります」、
さらには「うなぎ弁当900円」などの貼り紙がある。多角経営である。
大きな霊園なので数千基におよぶ墓がある。おのずと需要もあるのだろう。
それにしても40円のアイスというのはなんだ。










2022/08/13

今朝は西の空に虹ががかかった。
比叡山の方で時雨たのだろうか、中空は途切れていたが、アーチの両端は明瞭だった。
思わずカメラを向けた、でも、どうも見たようには写らない。
いやそれが実際の景色。自分の頭のなかで解釈した虹を楽しんだ方がいい。

田んぼの中を進むと畦ぎわになつかしい植物を見つけた。ジュズダマだ。
幼い頃熟した黒い実を集め、針で糸を通して数珠にして遊んだ。懐かしいな。
子どものこととて、穴がうまくあけられなくて、何度も指先を針で刺すわけだが、
それもまた針仕事の練習であった。
しかし、自然生えにしては結構広いぞ。どうやら栽培しているらしい。
あるいは薬用茶にでもするのか。利尿、消炎、鎮痛、排膿に効があるというが……。










2022/08/12

昨日から下鴨「納涼」古本市が始まった。
すでにネット上に掘り出した本を抱えてほくそ笑む人々の姿も見える。
行きたいのはやまやまだが、小生は暑さに滅法弱い。
その上、会場にいて父倒れるの報を受けたトラウマもあり、今回も自主規制。
やはり秋の百万遍を待つことにした。

5時前に起きて自転車に乗って一回り。帰宅して庭の水やり。
さすがに、葉がそりくりかえり、一部は枯れ始めている。
さっとシャワーを浴び、ビールならぬ冷たいポカリを呑みながら
ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌを聴く。
いやーよろしいな。

今日は湖畔で一仕事。かろうじて同業者との接点を維持している感じ。

*夜明け前 いつもの場所に舟があるのはやはりポイントなのだろう







2022/08/11

今日はお盆の準備。
弱ってしまった老母は霊園に連れて行くこともできないので仏壇だけでおまつり。
檀那寺をもたないでわが家は、いつも家族で形だけのお盆だ。
久しぶりに仏壇の扉を開き、お光を進ぜる。
父方は曹洞宗なので、般若心経か修証義をよめばいいか。
写真の父は70代のなかば。93を超えた母とは釣り合わなくなってきた。
供え物をはあとで自分が食べられそうなものをチョイスするのだが、
もよりのサービスエリアで赤福でも買って来ようか。
亡父はスコブル級の甘党(鍋一杯の善哉を一人で食べた)だったので無問題だ。

台風の影響があるのか、空の気配が怪しい。






2022/08/09

暑さには耐性がありそうな球児にも熱中症かと思われる事例が出ているようだ。
35度を超えているのだ。ふつうに考えれば当然だろう。
アルプススタンドの応援団も、無帽が多いようだが、みているだけで怖くなる。
麦わら帽子と団扇、カチワリだけでしのげた時代が爺にはなつかしい。
そんななか、早朝里廻りしていると秋の虫が鳴き始めたことにオッと気づく。
酷暑はつづくが季節は動いている。

このところ「朝撮り」ばっかり



















2022/08/08

昨日は夕刻からテレビ桟敷で高校野球見物。
子どもの頃は京滋大会・福滋大会の壁に跳ね返されていた。
その後私立高校の戦力増強策の結果もあるが、近頃は上位の常連となっている。
昨日勝った近江高校の校歌の作詞は彦根ゆかりの木俣修。
県立では虎姫高校は巖谷小波。以前よく出場した八幡商業は土井晩翠。
なかでも八商の校歌はなかなか気宇壮大。
古豪校の校歌をもっと聴きたいものだ。

今朝から夏休み自習第2弾として揚雄の『法言』を読み始める。
揚雄は前漢末から王莽の新の時代に生きた高名な儒者。
いろいろとエピソードも多い人物。『法言』は論語の体裁を模してつくった思想書とされる。使うのは中華民国時代に日本公使にもなった汪榮寶撰になる「法言義疏」(新編諸子集成)。注を読んでゆくと意味するところは徐々にわかってくるが、その注がとってもボリューミー!! 1行の本文について数頁の注がついてくる場合も……。

*施餓鬼がはじまったらしく、隣村の寺の境内に南無阿弥陀仏の幟が掲げられた。
お坊さんも世話方さんも、こう暑いとたいへんだろう。







2022/08/07

5時前に起床。
老母の世話をしてから1時間半ほど自転車を走らせる。
駅の方に向かうと日曜の早朝なのに結構人が歩いている。
ガラガラと音を立てながらカートを引く若者たちだ。
いまは春学期というのか、前期が終わり、お盆を前に実家に帰省するのだろう。
世の中が静かになって、コロナも収まってくればいいのだけれど。

*ハイビスカス咲く日本



2022/08/06

『古文孝経孔伝』。今日中になんとか読めそう。ちょうど10日かかった勘定。
自習に飽きたら、ネット上からヒストリックレコーディングというのか
著作権の切れた古い録音を落として聴いている。要するに「ながら族」。
クラシックの世界でイギリスの作曲家というと、素人にはエルガーくらいしか出てこない。
エルガーといえばなんといっても「威風堂々」だ。
もともとの曲名なのかどうかは知らないが、
行進曲なので、ブンチャ、ブンチャというリズム。
ただ行進曲とか愛国歌の手合いが嫌いな小生は、申し訳ないが性に合わない。
ほかになにかないかとみてみると、「エニグマ変奏曲」とか、「弦楽のためのエレジー」なんかがあって、ちょっとウケ狙いなかんじがあるけれど、ずっと聴ける。
演奏するのはとてもむつかしいらしい。

今朝の毎日新聞オピニオン欄 面白かった。
ことの当否はともかく金払って新聞を読む値打ちを感じる。
タイトルは「家業としての安倍政治批判」専門編集委員伊藤智永氏の記事。
ネット上ではまだ有料制限がかかっているが……。
他紙に寄稿したこういうイヤミ満載の記事も。


*今日は広島原爆忌 お盆ももうすぐ




2022/08/05

昨日は午後から曇り、三時頃から雷をともなったひどい降りになった。
2階の窓から恐る恐る外をうかがうと、上からだけでなく、
下から吹き上げるような感じで降っている。
すだれは外れ、自転車も大きな音を立ててひっくり返ってしまった。
雨雲の動きを観察すると今話題の線状降水帯のようであった。
わが家は川や山、崖などに面していないのは、正直ありがたい。
それにしても、自然も社会もなにかと極端に走る時代になったと感じてしまう。

今朝は遅めに起き、バナナをほうばってから散歩に出た。
倒伏が心配された稲はなんとか無事だったようだ。
アラシ(水田の一角に設けられる畑のこと)の里芋も生き返った様子。
水玉に囲まれてアマガエルがほっとしたような顔をして葉上に座っている。





















2022/08/04

いつも拝見していて、いろいろとうならされる林哲夫画伯のブログ「daily-sumus2」。
今朝は江戸時代の出版物のなかから往来物、そのなかでも「商売往来」を取り上げ、先学の研究を引いておられ、あわせていつものように筆者のコレクションが紹介されていて楽しく読ませて頂いた。
先学によると商売往来ではもともと顧客に精一杯値引きすることを執業(修業)とあらわしていた、それが維新後は勉強という語に変わったという。さらにはこの勉強が、学習や学問研究を行うことを意味するようになったらしい。この時期の言葉の変化は漢語を仲介とした西欧の言葉の翻訳とも関わるので、その順序のほどは小生にはよくわからない。

ただ、あらためて「勉強」という熟語を漢和辞典(『漢辞海』)を引いてみると、
①力をつくす。力が足りなくても努力する(中庸)
②無能でも無理やり行う(杜甫・詩・宝鏡寺)
③いやでも無理して行う(嵆康・与山巨源絶交書
などと彼の地での意味と典拠が示してある。
おやおや、いずれも、古漢語においてすでに無理やり感、いやいや感がともなう。
勉強が苦痛だったのは、この言葉が本来もっていた負のオーラのせいかしら。

ただそれであってこそ「勉強しまっせ」とか「大勉強の店」なんていう言葉が品物を安く売る、まけるという意味をもってくる。しかも新時代の語感をもったことばとして使われたということだろう。現役時代に往来物はいくども手にしていたが、「あー、習字の手本ね」とまったく顧みなかった。いまさらだが、勉強不足を反省している。

























2022/08/03

もう天災級の猛暑。
そのうえ琵琶湖があるので、湿気がプラスされて寝苦しい。
4時半に起き涼を求めて湖畔へ、この時間帯は中高年の散歩が多いが、
さすがに夏休み、昨夜から浜辺で過ごしていたと覚しき若者があちらこちらに。
不健康な元気さは若者の特権。








2022/08/02

古文孝経を読み出して五日目。
先入観とは大いに異なり、情緒的なところの少ない、いたって「論理的」なもの。
ネットのレビューに孝経を読んでから論語をよむとよいなんて書いている人がいるが、
ホントにそう思うのかしら。わかってもわからなくても読まされる寺子屋式ならともかく
ふつうどう考えても逆だよなー。

ゴミ出しのついでにクルマに給油して公園を散歩。
驚くほどたくさんの人が歩いているが、それも六時半が限界。
雨雲レーダーで雲を探すも日中一点の陰りもなしときた。雨乞いがいる。




















2022/08/01

このところの猛暑で、日が暮れて雨戸をあけ、夜明けとともに雨戸を閉めるという
なんともけったいなことになっている。
昨日は屋外では38度近くまであがった。夜も12時を超えないと30度を切らない。
昼頃には鳥も飛ばず、蝉も声をひそめるありさまだ。
日常生活に支障を来すほどの暑さが、3ヶ月以上続くのだからたまらない。
さて、今日から8月である。