今日は節分。子どもの頃はむしろ「年越し」と呼んでました。
白紙に歳の数の豆を入れて、身体を撫でて、辻に捨てる。なんてこともまだ見られました。
今は福豆やヒイラギ鰯なんかより「恵方巻」です。
クリスマスもバレンタインも正月も値打ちが下がっていく中で、今のところ元気な「習俗」ですが、もちろん根っこのある話ではありません。
白紙に歳の数の豆を入れて、身体を撫でて、辻に捨てる。なんてこともまだ見られました。
今は福豆やヒイラギ鰯なんかより「恵方巻」です。
クリスマスもバレンタインも正月も値打ちが下がっていく中で、今のところ元気な「習俗」ですが、もちろん根っこのある話ではありません。
午前中にスーパーに買い出しにゆきましたが、さすがにコロナが猛威をふるう状況では
売り場の賑わいも今ひとつ、賢い人はもう次の出し物を考えていることでしょう。
売り場の賑わいも今ひとつ、賢い人はもう次の出し物を考えていることでしょう。
*買い物のついでに山歩き 野鳥のさえずりが素晴らしい。
しかし歩き方が「爺」になっていますね……。
さて、1月後半から読み始めた「世説新語」、後漢から東晋時代の著名人士の逸話集なので、ともかく人名が頻出、新しい人物が現れるごとにWikiや百度で調べないと前へ進まない。何度も辞書で同じ字を調べている……。ウーム。昔の日本人は読んでいたはずで、「我何顔……」(われ何のかんばせありて……)なんてなくだりを読むと、思わず合いの手を入れてみたくなるのは、まだそういう遺伝子があるんでしょう。
例によってバッタバッタと人が死にます。それにしてもこれを日本の古墳時代と考えると呆れます。そんでもって現在29頁/589頁(汗)。
*使っているのは、台湾の芸文印書館のものですが中身は加賀前田家伝来の旧金沢文庫本。その複製の複製ということでしょうか。注が詳しく、よく本文の内容を補っています。注を先に読んでから、本文を読む方がよいみたい……。
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