2026/01/16

伯夷・叔斉と僧桃水

今日は日なただと15℃近くまであがるという。3月の陽気だ。
ホームセンターへ行き、湖畔でパチリ。まるで春霞がかかったようだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
毎朝拝読している鎌倉円覚寺管長の日記→https://www.engakuji.or.jp/blog/39879/ 
1月15日分の伯夷・叔斉の評価についてのお話が面白かった。
伯夷・叔斉は孔子によって高く評価された古代中国の伝説上の賢人として知られるが
どう考えても極端で孔子の評価もなんとなく護教的な感じさえする
管長様は以前は心服していたが、いまではそれほどではないと告白し、その理由を語られる。詳細は上記ページをお読みいただきたい。
 
話は別だが、伯夷・叔斉を一種の畸人とみれば、思い出すのは『近世畸人伝』に載る僧桃水のこと。→https://kotobank.jp/word/%E6%A1%83%E6%B0%B4%E9%9B%B2%E6%B8%93-1093682 
桃水は体制化した江戸時代の禅界にあっては、たしかに破格の人物で、近世曹洞宗改革運動の中では高く評価されたが、その突き抜けた行動には庶民はただ畸人の称を奉るほかない。しかしさらに偉いのは彼を「あざむいて」酢屋に仕立てた豪商角倉ではないか? 近江八幡の富商の出でもある作者伴蒿蹊の筆もそこに力点があるようにも見える。以下その部分。ちょっとできすぎた話のように思うけど。
 
角倉氏其徳を見しることや有けむ、しひて請じて供養せんといへども不応ゼ、曰、吾は人の供養を請ることを欲せずと。こゝにおいて角倉氏、思惟してあざむきていふ、吾邸人多ければ、日々残余の飯空しく腐欄す、実にをしむべし。是を師に参らせんに、酢を醸して売給はゞ、老脚を労して行乞し給んにまさらんかと。師これを真とし、それこそいとよき事なれ、捨るものは拾ふべし。いで吾は酢売の翁とならんと。 
 


面山瑞方『桃水和尚伝賛』(早稲田大学図書館蔵)より
慕って来た弟子に乞食の食う饐えた飯を与え諦めさせる場面 


 

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