2021/11/19

洗濯屋さん? 道元!

以前北白川の古本屋さんで入手した、梅原賢一郎さんの『洗濯屋さん道元』 (2019・七月堂 )という、詩集というか、正法眼蔵の「超訳」というか、そんな本を寝る前に読んでいます。お名前から知れるように先年亡くなられた梅原猛さんの息子さんですね。

京大を出られたあと彦根にある滋賀県立大学に奉職されていて、小生も数度仕事の上でお目にかかり、「現地見学」のお供をしたことがありますが、繊細な感性の持ち主と拝見しました。その後京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)にうつられ、2019年に退職されたようです。想像するところその退職記念として出されたもののように見えます。

正法眼蔵の精読を通じて、「難解」とされるその源を、自在な「ことばの遊戯性」あるとし、それらのことばをゴシゴシ「洗い」、あらたに「見いだされた時空」に「干し」ていった道元の洗濯物を、筆者の目で「取り込み」、静かに箪笥にしまっていく、そんな本のように見えます。やさしいことばで書いてありますが、まあ一通りではありません。

本書の「おわりに」に次のように書いてあります

道元の『正法眼蔵』は難解な仏教書とされている。しかし、どの点で難解であるのか、じゅうぶんに吟味もされずに、イメージが先行している感がないわけではない。難解さは、境地の深さにあるのか、論理性に問題があるのか、文字の法外な配置にあるのか、などと、丁寧に検討していくと、案外、すらすらと読めていけるのではないか、そして、そうして読みすすめていくと、『正法眼蔵』は、たんに宗教書というにとどまらず、なんと含蓄のある、おもしろい書物だとも思うのである。

なるほど、しかしこういう境地に達するのは、凡人にはなかなかむつかしそうです。ただ道元というと、只だ坐禅!というイメージがあるけど、そのことばの力はすごいのです。『正法眼蔵』が広く人々を惹きつける所以なんですね。


*装釘はまさに詩集です




0 件のコメント:

コメントを投稿