2022/08/24

おや、気のせいか? 涼しいぞ。



昨日ブックオフで下村湖人の『現代訳 論語』を入手した。110円である。下村は『次郎物語』が著名で、論語を冠する本としては『論語物語』の方が一般に知られる。もともと教育家であり中国学者ではないので、その方面では「その他の訳者」といったあたりでかろうじて紹介される程度。もしかするといまでいう「ビジネス論語」の走りといった見られ方をしているのかもしれない。購入した本もPHPからの再刊(2008年・元版は1954年)なので、まずはそういう読者層をねらったものだろう。小生この本の存在を知ったのは、とある研究者のブログ。学問的な評価はわからないが、一読してなかなか練られた訳文で(本人の前書きでは古・新両注を斟酌して、言葉を補いかなり自由に訳したとことわってある)、かんたんな注や補說もついていてわかりやすく、読んでいてひきこまれる。教育者・文学者であった湖人の晩年の精華なのだろう。

訓読を通じて、なんとか読んだつもり、わかったつもりにはなれても、それじゃ日本語訳にできるかというと、それはまったく別次元。しかも相手は天下の論語である。専門的な学識はもちろん、幅広い教養、文学的な力量も問われるたいへんなお仕事。現代語訳と銘打った本のなかには、そのあたりちょっとあやしそうなものも流布している。しかしそれも含めて「売れる」ということは、一般の論語に対する関心がまだあるということとの裏返しでもあるだろう。どんな分野でもファンを増やすには、よい入門書は欠かせない。

論語の訳解書としては金谷治の『論語』(岩波文庫)、吉川幸次郎の『論語』(もとは朝日文庫などで読めたがながく絶版。近ごろ角川ソフィア文庫に入った)が入手しやすいし定評がある。新注に基づく訳としては手に入りにくいが、倉石武四郎訳(筑摩世界文学大系5 所収)が高く評価されている。今回の本には惜しくも原文は付いていない。やはりあったほうがいい。なんて思っていると、市場にはすでにそういうバージョンもあるらしい。いずれにしても論語は時代により、人により、立場思想により、さまざまな読まれ方をしてきた書物なので、先入観をもたずいろいろと読んで見たい。

*オビには「日本人なら一度は読んでおきたい」とあった。いまはどうだろう。







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