2022/08/04

いつも拝見していて、いろいろとうならされる林哲夫画伯のブログ「daily-sumus2」。
今朝は江戸時代の出版物のなかから往来物、そのなかでも「商売往来」を取り上げ、先学の研究を引いておられ、あわせていつものように筆者のコレクションが紹介されていて楽しく読ませて頂いた。
先学によると商売往来ではもともと顧客に精一杯値引きすることを執業(修業)とあらわしていた、それが維新後は勉強という語に変わったという。さらにはこの勉強が、学習や学問研究を行うことを意味するようになったらしい。この時期の言葉の変化は漢語を仲介とした西欧の言葉の翻訳とも関わるので、その順序のほどは小生にはよくわからない。

ただ、あらためて「勉強」という熟語を漢和辞典(『漢辞海』)を引いてみると、
①力をつくす。力が足りなくても努力する(中庸)
②無能でも無理やり行う(杜甫・詩・宝鏡寺)
③いやでも無理して行う(嵆康・与山巨源絶交書
などと彼の地での意味と典拠が示してある。
おやおや、いずれも、古漢語においてすでに無理やり感、いやいや感がともなう。
勉強が苦痛だったのは、この言葉が本来もっていた負のオーラのせいかしら。

ただそれであってこそ「勉強しまっせ」とか「大勉強の店」なんていう言葉が品物を安く売る、まけるという意味をもってくる。しかも新時代の語感をもったことばとして使われたということだろう。現役時代に往来物はいくども手にしていたが、「あー、習字の手本ね」とまったく顧みなかった。いまさらだが、勉強不足を反省している。

























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