2023/01/31

昨夜みた夢。
カメラをもって写真を撮っている。どこかのお祭りのようだ。
入念に下調べをして、無駄になるようなカットは、はなから撮らないらしい。
手にしているのはどうやらフィルムの一眼レフ。
つや消しのブラックボディ。レンズは単焦点。機種はわからない。
当然ピントは手動合わせ。相手の動きも速いが動じない。
巻き上げレバーにかかるフィルムの存在を味わう余裕があるのは我ながら見上げたものだ。
舌なめずりするように、コトリ、コトリと、いつまでもシャッターを切っていく私。
とうに36枚を超えているのだが……。

夢で見るのはデジタルカメラではない。フィルムカメラなのだ。
もう15年あまり使っていないのに不思議である。

さて、以下は冗談。
国会では「反省すべきは反省したい」という言葉がしばしば話題になる。
「べき」は漢字の「可」と思う。この場合、たぶん「当然反省しなければならないことであり、反省いたします。」という意味で使っていると思いこんでいたが、実のところ謝っているのかそうでないのか曖昧さが漂う。こういうのは国語辞典かもしれないが、たまたま目の前にある全訳漢辞海』を引くと「可」には、①可能②許可③当然④勧誘⑤評価と、そもそもいろんな意味があるようだ。上記の用例でいくと③の説明に見える「状況や周囲の条件から当然そうすべきことを示し、「「……すべきである」「……しなければならない」と訳す」にあたると思うのだが、それはこちらの勝手な解釈なのかも知れない。
そういえば先だって学校で漢文の先生に、「漢文の場合、助動詞の可はだいたい「可能の可」でよんでください」と教えて貰ったっけ。つまり①だ。辞書はこれについて「客観的な状況や条件または能力において、可能なことを示し、「……できる」「……しうる」と訳すとある。となると、この語を発した方は、この①の意味で「べき」を使っているのかも知れない。たぶん「わたしが反省できないことは、反省しません」という方向性だ。ちがうか? ふーん、知らんけど。






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