2024/08/02

「利休」

朝一番で散髪。一気に短くなりました。
開店15分であっというまに待合は満席です。
みんな酷暑で朝のうちにという思いです。
 
昼食後勅使河原宏監督の「利休」(1989)をみる。
こちらは利休は三國連太郎、秀吉は山崎努。
やはりオールスターキャストであります。
後期の黒澤映画を思わせる映像美。茶の湯の世界観、道具立てがなかなか。
これはやはり勅使河原の力でしょうか。
先日みた「千利休」が文学的、静的、群像劇とすれば
こちらはより映像的、動的で二人の主役が際立っております。
どっちも甲乙つけがたいけど、映画としての出来でいえば勅使河原の「利休」に軍配を挙げますか……。
 
じつはそのあと井上靖の『本覚坊遺文』 を読みました。映画は原作にかなり忠実ですね。なかなか読ませる作品です。 井上靖の作品はどこか説教臭いかんじがしてそう好きというわけではありませんが、晩年近くに至って少し抜けたのでしょうか。
ただ熊井の「千利休」でもそうなのですが、というか、井上の原作にある「無ではなくならないが、死ではなくなる」という妙喜庵での謎の対話が(このことばは井上の造語でしょうか)奥行きがない。全てをここを根っこに据えているのが弱くておしい。
 
 一方今日の「利休」の原作となっている野上弥生子の『秀吉と利休』は以前に読んであります。それと映画がどういう関係になっているはか、ちょっと思い出せません。
脚本は勅使河原と赤瀬川原平の手になるようですが
後者がどんな働きをしたのか気になるところ。
赤瀬川には同時期岩波新書から『千利休―無言の前衛』が出ているのでまた読んで見ましょう。
 
いずれにしても若い時の印象とはずいぶん違いますね。
トシを取るのも悪いばかりではないように思います。
 
 
*1990年 朽木百里ヶ岳山頂 みなさん故人になられた

 
 
 
 


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