2023/12/28

ふりかえり

師走も28日。仕事納めの日になりました。
といっても毎日が日曜の小生にとっては、特別感はもうありません。
とはいえ、一年をふりかえるにはよい日かもしれません。

出来事としてはなんといっても母を94歳で見送ったことでしょう。
ふりかえってみると2016年86歳の頃から認知症が出始めまず家内が離職。
翌2017年には、自分が企画した事業が完結したことと
そのストレスでいささか体調をくずしたこともあり57歳で早期退職。
以後母の何度かの入院を挟みながら、亡くなるまで家族で自宅介護にあたりました。
介護者家族がいるので特養の入所はむつかしく、母の場合は認知症のタイプが特殊であったことも自宅介護を選択せざるを得ない要因でした。

最後の二年間は要介護5でしたが、いちばん難儀だったのは要介護3くらいの時と思います。母は一般的なアルツハイマー型ではなく、レビー小体型認知症というやっかいなタイプで。途方に暮れて一時は有料老人ホームへの入所も検討しましたが、精神科で検討して頂きクエチアピンという薬が合い、これで幻視・幻聴・抑うつ・暴言や夜間徘徊といった症状をなんとかコントロールする事が出来たのは幸いでした。こういう時には医師の指導だけでなく、認知症家族をもった方のブログなどが参考になりました。先が見通せないなかで、今後どう推移していくか事前に把握できたからです。医者のおっしゃることは医学上のことであり、患者や家族の暮らしや気持ちのレベルまで降りてはくれません。ことばは適切ではないかもしれませんが、当事者になった者にしかわからないものがありますね。もちろんそれは苦労だけでなく、学ぶことも含めてのことですが。

介護のなかでいろんな方のお世話になりましたが、まずはよいケアマネの方との出会いがあり的確なアドバイスとサポートが得られました。これは大きかったと思います。
そしてデイサービス、最後の一年間は訪問看護で助けられました。こういう制度や施設、マンパワーがなければ、早晩家族共倒れの憂き目にあっていたと思います。
それと今の時代でありがたいのは、介護食や介護グッズが手軽に入手できることです。
紙おむつには市からの助成がありますし、介護食としてはネスレのアイソカルシリーズがたいへん重宝でした。介護はすごい「市場」なんですね。もちろん亡くなる前の晩までわずかながらも食事がとれ、なんとか座位を保つことができた当人の頑張りもほめてやりたいとおもっています。あとは、若干の蓄えと年金があったことは、やはり無視できません。これは自分たちの課題でもあります。

そんな「支え」のなかで、精一杯の看取りが出来たので、後悔もないのですが、ただ実の親だけにやはり感情的になることもあり、介護開始とほぼ同時に慢性的な前立腺の違和感に悩まされ、あと、一二年続いたら完全に音を上げていたと思います。
笑い話のようですが毎日テレビの「おかぁさんといっしょ」を見ながら朝食をたべさせていました。まさに逆転の立場での「おかぁさんといっしょ」でありまして、「長いお別れ」の時々に、いろいろなことを考えさせられました。
もちろんこんなことはどこにでもある話で、書くにおよばないことと思いますが……。

あれから半年以上が経ちました。
介護の日々はもうずいぶんと以前のことのように感じます。
13年前に亡くなった父の遺影とともに母の短歌の額を仏壇に飾って、毎朝挨拶につとめています。そして、いずれ介護が終わったら……、と先送りしてきたことを、ぼちぼちやり始めたいと思うこの頃です。





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