2022/08/12

昨日から下鴨「納涼」古本市が始まった。
すでにネット上に掘り出した本を抱えてほくそ笑む人々の姿も見える。
行きたいのはやまやまだが、小生は暑さに滅法弱い。
その上、会場にいて父倒れるの報を受けたトラウマもあり、今回も自主規制。
やはり秋の百万遍を待つことにした。

5時前に起きて自転車に乗って一回り。帰宅して庭の水やり。
さすがに、葉がそりくりかえり、一部は枯れ始めている。
さっとシャワーを浴び、ビールならぬ冷たいポカリを呑みながら
ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌを聴く。
いやーよろしいな。

今日は湖畔で一仕事。かろうじて同業者との接点を維持している感じ。

*夜明け前 いつもの場所に舟があるのはやはりポイントなのだろう







2022/08/11

今日はお盆の準備。
弱ってしまった老母は霊園に連れて行くこともできないので仏壇だけでおまつり。
檀那寺をもたないでわが家は、いつも家族で形だけのお盆だ。
久しぶりに仏壇の扉を開き、お光を進ぜる。
父方は曹洞宗なので、般若心経か修証義をよめばいいか。
写真の父は70代のなかば。93を超えた母とは釣り合わなくなってきた。
供え物をはあとで自分が食べられそうなものをチョイスするのだが、
もよりのサービスエリアで赤福でも買って来ようか。
亡父はスコブル級の甘党(鍋一杯の善哉を一人で食べた)だったので無問題だ。

台風の影響があるのか、空の気配が怪しい。






2022/08/09

暑さには耐性がありそうな球児にも熱中症かと思われる事例が出ているようだ。
35度を超えているのだ。ふつうに考えれば当然だろう。
アルプススタンドの応援団も、無帽が多いようだが、みているだけで怖くなる。
麦わら帽子と団扇、カチワリだけでしのげた時代が爺にはなつかしい。
そんななか、早朝里廻りしていると秋の虫が鳴き始めたことにオッと気づく。
酷暑はつづくが季節は動いている。

このところ「朝撮り」ばっかり



















2022/08/08

昨日は夕刻からテレビ桟敷で高校野球見物。
子どもの頃は京滋大会・福滋大会の壁に跳ね返されていた。
その後私立高校の戦力増強策の結果もあるが、近頃は上位の常連となっている。
昨日勝った近江高校の校歌の作詞は彦根ゆかりの木俣修。
県立では虎姫高校は巖谷小波。以前よく出場した八幡商業は土井晩翠。
なかでも八商の校歌はなかなか気宇壮大。
古豪校の校歌をもっと聴きたいものだ。

今朝から夏休み自習第2弾として揚雄の『法言』を読み始める。
揚雄は前漢末から王莽の新の時代に生きた高名な儒者。
いろいろとエピソードも多い人物。『法言』は論語の体裁を模してつくった思想書とされる。使うのは中華民国時代に日本公使にもなった汪榮寶撰になる「法言義疏」(新編諸子集成)。注を読んでゆくと意味するところは徐々にわかってくるが、その注がとってもボリューミー!! 1行の本文について数頁の注がついてくる場合も……。

*施餓鬼がはじまったらしく、隣村の寺の境内に南無阿弥陀仏の幟が掲げられた。
お坊さんも世話方さんも、こう暑いとたいへんだろう。







2022/08/07

5時前に起床。
老母の世話をしてから1時間半ほど自転車を走らせる。
駅の方に向かうと日曜の早朝なのに結構人が歩いている。
ガラガラと音を立てながらカートを引く若者たちだ。
いまは春学期というのか、前期が終わり、お盆を前に実家に帰省するのだろう。
世の中が静かになって、コロナも収まってくればいいのだけれど。

*ハイビスカス咲く日本



2022/08/06

『古文孝経孔伝』。今日中になんとか読めそう。ちょうど10日かかった勘定。
自習に飽きたら、ネット上からヒストリックレコーディングというのか
著作権の切れた古い録音を落として聴いている。要するに「ながら族」。
クラシックの世界でイギリスの作曲家というと、素人にはエルガーくらいしか出てこない。
エルガーといえばなんといっても「威風堂々」だ。
もともとの曲名なのかどうかは知らないが、
行進曲なので、ブンチャ、ブンチャというリズム。
ただ行進曲とか愛国歌の手合いが嫌いな小生は、申し訳ないが性に合わない。
ほかになにかないかとみてみると、「エニグマ変奏曲」とか、「弦楽のためのエレジー」なんかがあって、ちょっとウケ狙いなかんじがあるけれど、ずっと聴ける。
演奏するのはとてもむつかしいらしい。

今朝の毎日新聞オピニオン欄 面白かった。
ことの当否はともかく金払って新聞を読む値打ちを感じる。
タイトルは「家業としての安倍政治批判」専門編集委員伊藤智永氏の記事。
ネット上ではまだ有料制限がかかっているが……。
他紙に寄稿したこういうイヤミ満載の記事も。


*今日は広島原爆忌 お盆ももうすぐ




2022/08/05

昨日は午後から曇り、三時頃から雷をともなったひどい降りになった。
2階の窓から恐る恐る外をうかがうと、上からだけでなく、
下から吹き上げるような感じで降っている。
すだれは外れ、自転車も大きな音を立ててひっくり返ってしまった。
雨雲の動きを観察すると今話題の線状降水帯のようであった。
わが家は川や山、崖などに面していないのは、正直ありがたい。
それにしても、自然も社会もなにかと極端に走る時代になったと感じてしまう。

今朝は遅めに起き、バナナをほうばってから散歩に出た。
倒伏が心配された稲はなんとか無事だったようだ。
アラシ(水田の一角に設けられる畑のこと)の里芋も生き返った様子。
水玉に囲まれてアマガエルがほっとしたような顔をして葉上に座っている。





















2022/08/04

いつも拝見していて、いろいろとうならされる林哲夫画伯のブログ「daily-sumus2」。
今朝は江戸時代の出版物のなかから往来物、そのなかでも「商売往来」を取り上げ、先学の研究を引いておられ、あわせていつものように筆者のコレクションが紹介されていて楽しく読ませて頂いた。
先学によると商売往来ではもともと顧客に精一杯値引きすることを執業(修業)とあらわしていた、それが維新後は勉強という語に変わったという。さらにはこの勉強が、学習や学問研究を行うことを意味するようになったらしい。この時期の言葉の変化は漢語を仲介とした西欧の言葉の翻訳とも関わるので、その順序のほどは小生にはよくわからない。

ただ、あらためて「勉強」という熟語を漢和辞典(『漢辞海』)を引いてみると、
①力をつくす。力が足りなくても努力する(中庸)
②無能でも無理やり行う(杜甫・詩・宝鏡寺)
③いやでも無理して行う(嵆康・与山巨源絶交書)
などと彼の地での意味と典拠が示してある。
おやおや、いずれも、古漢語においてすでに無理やり感、いやいや感がともなう。
勉強が苦痛だったのは、この言葉が本来もっていた負のオーラのせいかしら。

ただそれであってこそ「勉強しまっせ」とか「大勉強の店」なんていう言葉が品物を安く売る、まけるという意味をもってくる。しかも新時代の語感をもったことばとして使われたということだろう。現役時代に往来物はいくども手にしていたが、「あー、習字の手本ね」とまったく顧みなかった。いまさらだが、勉強不足を反省している。

























2022/08/03

もう天災級の猛暑。
そのうえ琵琶湖があるので、湿気がプラスされて寝苦しい。
4時半に起き涼を求めて湖畔へ、この時間帯は中高年の散歩が多いが、
さすがに夏休み、昨夜から浜辺で過ごしていたと覚しき若者があちらこちらに。
不健康な元気さは若者の特権。








2022/08/02

古文孝経を読み出して五日目。
先入観とは大いに異なり、情緒的なところの少ない、いたって「論理的」なもの。
ネットのレビューに孝経を読んでから論語をよむとよいなんて書いている人がいるが、
ホントにそう思うのかしら。わかってもわからなくても読まされる寺子屋式ならともかく
ふつうどう考えても逆だよなー。

ゴミ出しのついでにクルマに給油して公園を散歩。
驚くほどたくさんの人が歩いているが、それも六時半が限界。
雨雲レーダーで雲を探すも日中一点の陰りもなしときた。雨乞いがいる。




















2022/08/01

このところの猛暑で、日が暮れて雨戸をあけ、夜明けとともに雨戸を閉めるという
なんともけったいなことになっている。
昨日は屋外では38度近くまであがった。夜も12時を超えないと30度を切らない。
昼頃には鳥も飛ばず、蝉も声をひそめるありさまだ。
日常生活に支障を来すほどの暑さが、3ヶ月以上続くのだからたまらない。
さて、今日から8月である。